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メモ

日本語音の解釈に関して、根本的な疑問が出てきてしまったのでメモ。
「音節」という概念が、日本語には馴染まないのではないか、ということ。
 「音節」は、「非音節」との対立によって初めて意味を成す概念である。「非音節」とは要するに、母音を伴わない子音である。さらに重要な点は、この子音が、意味の区別をもたらす、という、弁別性を持つことである。(ちなみに「非音節」という専門用語はない)
 日本語においては、単独で登場する子音というのは、原則として存在しないことになっている。事実は多少は異なってはいるが、大事なのは、母音の有無によって意味の区別が生じる単独の子音は存在しないということで、これは確かである。意味における弁別性を持った単独の子音が登場しない、ということはつまり、非音節が存在しないこということになる。非音節が存在しないのに、それとの対立でしか意味を成さない音節という概念が、どうして成り立つのだろうか。

 要は、音節という概念が、客観的な現象として音声をみるphoneticalな見方と、弁別性を持った音素という観点から見るphonemicalな見方と、はっきりと区別が成されないまま使われているのが、問題なのではないか。音節というのは、事実に対して解釈を加えた概念でしかないのだから、単純に物理的な点だけを問題にして、必ずうまくいくという保証はない。重要なのは、どのように言語音声が認識されているのか、ということで、日本語において、この概念が本当にリアルなものなのかどうかは、自明なことではない。


 例えば、「です」「ます」その他の母音を伴わない子音は、西日本式と東日本式が入り乱れる現代の日本語経験において、子音というよりもむしろ「ゼロ母音の音節」として抽象化した方が、考え方としてはうまくいくだろう。
 重要なのは、母音の有無が、意味における相違を生み出さない、ということである。つまり音声としては別々であっても、意味の区別を持たない。この場合に、単独子音と、母音を伴う音節との間に等価性が成り立ってしまい、「音節」という言葉の定義は、ここでは成り立たなくなってしまう。 
 この場合の解決策は二つ。一つは、音節という概念を認めず、「子音+母音」が一つの音素であり、母音の消失は些末な変異現象でしかない、という考えること。二つ目は、音節という概念を認めるなら、同時に「ゼロ母音」という概念も、同時に認めることである。
 両者のうちで、どちらの方が、日本語ネイティブの音意識により近いだろうか。少なくとも自分の直観としては、前者の方が自然で適切であるように感じる。
(ローマ字配列で「ゼロ子音」を設定しやると、少なくとも私の場合、打鍵ストリームをスムーズに始められるのも、「音節」という前提の不自然さの感覚を反映しているのかも知れない。)


 またこう考えると、仮名を「音節文字」と呼ぶのは、はたして正しいのだろうか。音声としては確かに音節の特徴を持つが、使用者の意識に「弁別性を持った非音節」という概念が存在しない以上、その様な名称は適切なのだろうか。
 他言語での音節に相当するものを、音素として取り扱う言語、それが日本語である、とは、言えないだろうか。

 熟慮したい。

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Shorter Oxford English Dictionary による syllable の第一義。

A unit of pronunciation uttered without interruption, forming the whole or part of a word and comprising a sound of greater sonority (vowel or vowel equivalent) with or without one or more sounds of less sonority (consonants or consonant equivalents) before or after. Also, a symbol, character, or set of characters, representing a corresponding element of written language.