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ブラインドタッチ

ブラインドタッチの練習とか、ローマ字入力してた頃はまともにしたことなくて、親指シフトやりだしてから始めたのであるが。
あれって、やってみて初めてわかったが、キーの位置の記憶があやふやになったとき、音と動きの記憶に集中するために目をつぶると、鍵盤を見て探すよりもだいぶ早く目的のキーに到達できる。
視覚の記憶だけを頼りにすると、脳の使い方としては単一モード的に処理されて、部分的な負荷がすぐに限界に達してしまうのかしら、と思い。
ブラインドタッチの場合、触覚と運動覚に加え、聴覚や動的な視覚的記憶との連合など(キーボードの静止画像ではなく画面上の変化と手指動作との対応関係、ぐらいの意味で・・・)、非情にマルチモーダルな脳の使い方で、広範囲を効率よく使うことができるんだろうな。
なので、手指動作でも、単純な動作を組み合わせた2手間(つまりローマ字)より、ある程度複雑な一手間(つまり親指シフト)の方が、その組み合わせの多様さのために、音素/文字の識別を反映させるには、むしろ有利なのかもしれない。それはたとえば、タイピング動作自体は純粋に脱時間化されない・・・というよりむしろ脱時間化されたものを再び時間的に展開するプロセスなのだから、各瞬間あたりの処理能力の限界を超えさえしなければ、ある程度複雑な動作でも、単純な動作とくらべても、実現可能な処理量に大して差は出ないのではないか、とか考えてみる。要は、何か脳が「余ってる」感じがローマ字打ちにはあるのだよな、実感として。
んー・・・なんて考えたりもするが、今のところ、ローマ字打ちとかな入力の特性を純粋にモードとしての観点からは比較はできていない(原理的にこれが可能なのかどうかすら未探求の私)ので、本当はどうとも確言できそうにない。特にローマ字のほうは実体験としてはqwertyしかしたことがないので、あまりに分が悪いよなぁ・・・。今度dvorakとか真面目に取り組んで見るかな。M式てのも試してみたいなぁ。もちろんNICOLAがせめて中上級にはなってから、のはなし。

とか考えたというメモ。取り急ぎ。