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これはやっぱり変だよ。qwerty配列のキーボードと日本語ローマ字入力

こういうことをなんとなく感じている人は多いと思うが、はっきり問題として取り上げられているのは目にしたことがないので、問題点を少し整理してみた。


・非効率的なホームポジション
qwerty配列ホームポジションは、日本語では定着させにくい。
ホームポジション中に、日本語ではめったに使わない F、L、;、がある。
>>左手ホームジションの基準位置は、人差し指のFの位置だが、日本語でFは殆ど使わない。だから、Fキーに突起を付けられても、触る機会は殆どないし、また触る動きが殆ど全く無駄な動きで終わる。またこの位置は、Z列に動かしたときも同様で、人差し指の基準位置はVで、これも日本語では例外的にしか使わない。
>>右手ホームポジションでは、4つのキーのうちうち実質半分の二つしか使わない。これはどう考えてもおかしい。そのため、と言っていいと思うが、1キー分左に動かせば、非常に運動効率が上がり、通常のホームポジション維持のメリットは殆どなくなると言ってよい。


・Q列の無意味なずれ
このずれのために、他の列とQ列が連続する入力の際、指を置く幅が実際のキーピッチよりも狭かったり広かったりする。さらに日本語は、必ず「母音+子音」という構造をしており、qwerty配列では母音字がQ列に集中しているため、この指間隔の縮小・拡大が、頻繁に起こる。
>左手。 W>A「わ」・R>A「ら」・S>E「せ」近すぎる、Z>E「ぜ」馬鹿にしてんのか?、D>E「で」無駄に左に動く、G>E「げ」遠い、B>E「べ」もっと遠い。
>右手。 J>I「じ」・J>O「じょ」近い、K>O「こ」近い、K>U「く」遠い、N>Y>U「にゅ」どぉせぇいうねん。


・各指の使用率のアンバランス。
> 左手では、やたらと小指・薬指の使用率が高い。対して、最も活躍が望まれる人差し指は、6キー中2キーでは殆ど使わない。



・日本語の音韻構造を考慮していないキー配列
 日本語は基本的に「母音+子音」という構造をしているため、「子音キーに指を運ぶ間に母音を打つ」という原則を徹底できれば、時間のロスを限りなく少なく出来る。さらに、中央列に母音字を配置すれば、全ての音節が必ず母音で終わるのだから、中央列を跨いだ指の移動は完全に無くすことができる。このように、巧くやれば、この上なく合理的にタイピングが行える言語のはずである。
「子音+母音+子音」が基本の英語の綴りの場合(*)、この配慮は特に必要ではない。このことによる問題点は、以下。

・母音の位置が遠い。
> 日本語はC+Vが基本構造であるため、14の基本子音に対して、5つの母音がほぼ同じ割合で用いられる。キーひとつあたりの頻度にしてみれば3倍であり、当然中央A列ホームポジションに集中させるべきである。しかし現実は、A以外は全て最上列である。「ぬ、に」「む、み、も」「ざ、ぜ」などの、どうしようもない打ちにくさは、誰でも体験するはず。この殆どは、母音をA列においてやれば、それだけで解決する。

> また、頻繁に使われる拗音化子音のためのYも遠い。Yがこの位置にあるのは、英語でYは、この目的のためには全く使われず、拗音としてのYは専ら語頭にしか現れないためである。Yが語中に現れるのは、[ai]または[I]の音を表す場合が主で、拗音としてのYの使用は、beyondなどの複合語起源の語や固有名詞など、少数の例外だけである。またYは、二重母音[ei, oi]の語末での形 ay, oy の後接半子音であるが、語中では複合語を除いて ai, oi に変わる。

> さらに、英語におけるIとUは、半子音字でもある。-cious, -tion, qu-, su-。またIとUは、YとWの語中における変異体でもあり、語中で二重母音が閉じる祭に用いられる。mail/tail/fail..., out/shout/house/mouse/loud...

 これらに加え英語では、sh, ch, th, wh, rh, ph, mb, gh,など、 複子音字が多い。このため英語を入力するためのキーボードでは、母音時と子音字を厳密に区別して配置するメリットと言うのは少ない。qwerty配列で母音字がQ列集に中しているのは、明らかに英語という言語の都合だろう。


>X,Z,Qが英語の辞書でページ数リースト3である。>Zは基本的にSの変異以上のステータスを持たない>語頭には現れにくい>語中では母音間のSがz音に変わるのみ。


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こうした問題点に対しては、殆どの人が「慣れれば解決する」というであろうが、それは思考の怠慢というものである。問題解決に費やされる労力を、比較してみると良い。数人のチームで新しく企画・設計する労力と、数千万人が未来永劫に亙って努力し続ける労力とは、どう考えても拮抗しない。「一人ひとりで見れば大して変わらない」と反論されるであろうが、これに対しては、次のように答える。大して変わらないのであれば、そのどちらかに決定する必要がある。この場合何を基準に考えるか。普通は労力の総量の差である。これを無視するような十分合理的な理由があるというなら、誰か教えて欲しいものである。