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超ひも假名遣ひ、或いは言葉と心にとっての時間とは。(ツイート)

現代仮名遣い(といふ名前で世間一般にイメージされてゐるもの)と歴史的假名遣ひでは、現在か過去かといふ「時点」の違ひなんてものではなくて、そもそも言語にとっての時間に対する捉へ方が全然違ふのでは、なんてことを思ったりしますが、上手く言へません。

時間を微分的に捉へるのか積分的に捉へるのか、なんて数学パーの私が言ってみてもまるで説得力がありません。あぁ……

現代仮名遣い(といふ名前で世間一般にイメージされてゐるもの)は、微分的に言語の変化を捉へてゐて実在しない直線を追ひかけてる様なイメージがありますねぇ。
永遠の夢追ひ人

誰か頭のいい人よこの考へを突き詰めて考へて呉れないか、ワシにはとても手に負へぬ……


現代仮名遣い支持パーソンと歴史的假名遣ひ支持パーソンと、それぞれが抱いてゐる根本的に異なる時間概念について、メタな視点で上手く言ひ表せないものか……

現代仮名遣い支持(的なるもの)が想定してゐる点的な時間に対し、歴史的假名遣ひはもう一つの次元のたたみ込まれた、超紐的な時間概念を想定してゐはしまいか。


「超ヒモ假名遣ひ」


脳が発酵してきた