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メモ

先週一週間ほど、職場で紙資料とPC上のデータの照合作業をやって、文章を綴ることは無かったが、結構な数の単語をqwertyロマかなで延々と打ち込んだりしていた。
一日も終わりに近づくと、やっぱり感じてくるのが、打鍵数の多さによるストレス。NICOLAで慣れているから、「一文字打つのに何で2打も打たんといかんのか」と、理屈というよりはもう感覚的に、不満が湧いてくる。19㎜の古いフツーのメカニカルキーボードで、手も疲れてくるし、そうなると、早く打とうとして、子音の先に母音を打ってしまったりとかのミスが増える。「同時ではいけない、時間順序のルールがあまりにも厳密」というロマかな特有のストレスにも悩まされる。仮名入力だと、目標文字数に対して相対的にゆっくりと打つことが出来るから、この様な不満は、そもそも有り得ない。

こうしたこととは別に思ったのが、いわゆる「ローマ字入力の効率性」に対する新しい観点からの疑問で、つまり、

  • ローマ字では、「憶えるキー位置が少なくて済む」が、それは同時に「同じ操作を繰り返す回数が多い」=「特定の筋操作のパターンばかりを頻繁に使う」ということも意味するから、手に疲労がたまりやすい、という風に言えないだろうか

ということ。さらにつまると、

  • ローマ字入力は、「キー間移動の空間効率、記憶効率」は優れているが、「筋操作パターンの時間的配分」において劣っているのではないか

ということで・・・・・・。
一口に「同じ指を用いた打鍵」といっても、上・中・下段で、微妙に(か、もしくは甚だしく、か)使う筋肉は違う。また、筋肉等の疲労の度合いは、単純な時間の総和には比例せず、適度に休息を入れてやることで、同じ運動量の総和でも、より疲労を軽くすることが出来る。
「一番運動効率のいい指・打鍵位置を優先的に使う」というのはひとつの原則として従うべきではあるが、そればかりの連続動作をさせ続けても、あっと言う間に疲労してしまうのは目に見えている。そこに運動効率の悪い指・打鍵位置での打鍵を程よく混ぜてやることで、空間効率のよい打鍵操作に用いる筋肉に、適度に休息を与えてやれる・・・・・・、という理屈もあるはず。

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極端な例として、2進法の言語というか、使う音素が二つしかない言語、ということを考えてみる。それと、単語の句切り示すマーカーとして、空白を用いる。時間のことさえ気にしなければ、原理的には言語として十分な弁別姓を持ちうる。
こういう言語をタイピングする場合、右手と左手の人差し指だけで足りてしまうから、職業的タイパーは、
「いやあ、仕事終わった後とか、人差し指ばっかり疲れちゃってさぁ、」
とか、二進法の言語で言うことになる。
「あい あいい いあいあ いあああい ああいああい あいあ・・・・・・」
とかなんとか・・・・・・
まあ、疲れたら他の指を使えばいいだけのことだが、これが中途半端に要素が6個とかだったら、そういうわけにも行くまい。
ある程度使用する要素が多い、ということは、運動の時間的なdistributionという点で言えば、むしろ有利な条件なのではないか、とか思い。

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qwertyロマかなやってると、左手小指がもう露骨に疲れてくるわけで、それでこういうことに気づかずにいられなかったわけなのだが、思い付いてみれば、これはそのまま、自分の実感している親指シフトの利点として、十分腑に落ちる理屈ではある。
「音を構成要素に分解し、それをキーに割り振る」というのが、アルファベット入力の基本的発想だが、文字という視覚的記号を扱うという段になると、それぞれの文字の形状の間、また対応する音との間に、形態的なアナロジーなど全くないわけで、とすれば、それを手指動作とパラレルに反映させるということは、動作パターンの一貫性とか効率とか云々以前に、原理的にも成り立つはずのないものであろう。
具体的になにが言いたいかというと、「あ列」に必ずa音が含まれているからといって、それを動作と視覚的記号との間にまでパラレルに投影する必要はないのではないのか、ということで。そのような、記号処理の奔放とも言いたくなる恣意性(同義反復なのだけど、「恣意性」って一般的には分かりにくそうだからあえて)こそが、人間の言語能力の源泉でもあるのだから、多分練習さえ積めば、配列の非時間的な複雑さも、問題なく克服可能なものである、と思われる。というか、それが、実際に親指シフトを憶えての実感。
そんなことを考えつつ、試しに、NICOLAの50音表の母音列ごとの分布はどうなってるかな、とか思って、表にしてみた。
あ列

い列

う列

え列

お列

こうしてみると、結構綺麗に各指に分散しているように見えます。・・・・・・が、あれ、アタリマエっちゃアタリマエでもあるのかな?よくわからん・・・・・・。