kinetic melody

そういえば。
最近読んだ、『耳で考える』(久石譲・養老孟子
角川Oneテーマ新書)に視覚と聴覚の話題があって、タッチタイプとの関連で思い出したことひとつ。
聴覚では、欲しい情報に絞って意識する(騒音のなかで目標の音を聞き分ける、など)ということが可能だが、視覚ではそれが不可能である(ちなみに鳥にはできるらしい)。「触って憶い出す方が見るより速い」というのは、多分こういう理由もあるのだろう。
また、「本来、視覚と聴覚はまったく別の情報で、一つのものとして処理しようとするのが人間の脳の特殊なところ」(大意)とも。視界の端で動き回る手の映像情報を、目を瞑ることでシャットアウトすると触覚や運動覚に集中できる、というのは、視覚とその他の感覚を統合しきれない、人間の脳の古層の事情なのだろうか、とか思い。視覚以外の脳部位が、小脳などの古層に集中してるというのは有名な話。

それから、「メロディーは時空の記憶装置」。要するにハーモニーという空間軸の情報と、リズムという時間軸の情報を一つのものに統合しているのが、メロディー、旋律という表象の機能である、と。そういうことはぼんやり想いはしてたものの、「時空の記憶装置」という言い方は、さすが久石御大、上手いです。憶い出すのが、Oliver Sacks "Musicophilia"にたびたび出てきた"kinetic melody" という言葉。動きのメロディー、とでも言えばいいのか、とにかく、個々の身体部位の運動を意識しない動作には流れるような美しさがあり、動作というものが一つのまとまりとして感じられる。このまとまりが失われると、それまで普通にできていた動作のやり方がわからなくなってしまう、とか、そういうアレです。
qwertyロマかなにも、動きの流れが誤りのないタイピングを導いていく、という面は十分に感じられるのだけど、親指シフトでは、このkinetic melody がさらに凝縮された形で経験されるように感じられて、それが親指シフトファンを虜にする一つの、そしてかなり大きな要因なのではないか、とか、想ってみたりする。

Musicophilia: Tales of Music and the Brain (Vintage)

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