大槻文彦

 が、『言海』を書いて、日本語の表音的綴りの必要性を実感したという。しかし、別に綴りを表音にしなくたって、辞書の並べ方だけ表音で行けば良かっただけの話なのではないのか。つまり「いる(入るetc.)」のすぐあとに並べて「ゐる(居るetc.)」が置いてあったって、別に不都合なんてないんぢゃないのか?辞書検索の都合から言えば、それで十分な筈である。しかも、音で引いて語を確認できるんだから、良いことづくめぢゃないか。読む側にしてみれば、書かれた文字に語の識別がはっきり表れている方が、助かる。漢字が無くならないのと、全く同じ理由である。綴りを直したい、というのは、むしろ作成者側の都合だろう。
 しかし、辞書作成の能率の為に、語意識の反映ツールを犠牲にする必要なんて、ないだろう。文字が導入されたのは、別に辞書を作るためではなくて、言葉を視覚的に保存するためであった筈である。辞書の為に綴りを変える、というのは、本末転倒である。